| 第11回 21期生 秋山 俊幸 | |
| インターネツトで東海大学卓球部OB会を観るのを楽しみにしています.21期生の秋山俊幸です。福岡からなかなかOB会に参加する事が出来なくて.いつも残念に思っています。
私の大学生活は.卓球に明け卓球に暮れる.人生の中で好きな事を好きなだけ出来る.一番幸せな時だと当時から思っていました。 そんな私にも一年の前半.奴隷の一番つらい時期に急性肝炎で夏合宿に参加出来ず.同期の辛い夏合宿の話し中に入れない寂しい日がありました。一年後期に入ると練習終了後.同期の浅川と毎日9時過ぎまで残って練習.日曜祭日も規定練習後 残って練習するのが日課でした。一年最後の春合宿終了する頃には.小野先輩(20期生主将)が週3回通う南台卓球センターに浅川と通うようになっていました。帰りに小田急相模原商店街で社会人の方から飲食をご馳走になって夜中下宿に帰る日が2年半続きました。小野先輩と同期のライバル浅川がいたから続けてこれたと思っています。特に小野先輩とは.泊まりにいって酒を飲んだりオフの日に”たまには卓球を忘れて遊ぼうゼ”と新宿に行っても.帰って来てやっぱり練習をやっていました。 3年で主将になり2部昇格に照準を合わせ練習を組み立てました。その第一が.より多くの練習試合を消化すること 2部全大学(早稲田・駒沢・日体・筑波・國學院)、信号器材など沢山の強豪に立ち向かって行きました.より強い相手とやることで意識を高めることが必要だったのです。一番苦労したのが相手との打ち合わせです.日取りから時間.場所.お金の工面までミスのないようにやってくれたのが現在OB会事務局の宮城君です。今でも影で支えてくれて”ありがとう”と心から感謝しています。 これと同時期に女子に改革がうまれました.当時女子主将の高味(現在神谷さん)が.男子と別メニューの練習.合宿など独立する案を言ってきたのです。特に問題だったのが練習相手に男子を使いたいという事 当時の準レギュラー も女子の練習相手をする為に入部したのではないからです。けれど卓球部の為に皆んなよくやってくれました。(当時の皆んな女子部員達が感謝してました)それから女子部員達の努力で徐々にではありますが.軌道に乗っていきました。 4月になり.春のリーグ戦.見事3部Bブロック優勝.3部優勝決定戦に勝ち.2部との入替戦にも勝って念願の2部昇格を果たすことが出来.2部でリーグ戦を戦う夢が実現しました。"強く心に念ずれば必ず道は開ける”ことを回りの皆から教わった大学時代でした。 実は今年3月に.大腸癌の手術で大腸を40cm摘出.他への転移も無く術後1ヶ月で仕事に復帰しました。まだまだ会社を建て直す仕事が残っています。親としての責任もあります.余談ですがゴルフもまだ片手シングルになってないし.必ず出来ると心に念じて.半世紀生きます。 現役の皆さん.努力はやり過ぎることはありません 遠く福岡から見守っています。 ![]() 旗手の後ろが昭和58年卒(21期生)の秋山俊幸 第52回全日本大学対抗(1982年)開会式(京都市体育館)にて |