合宿の思い出も報告しておきます。このように強くなった卓球部で地方遠征をやる計画を立て、私の出身地である熊本で春合宿を目指しました。資金が足りないものですから、松前学長の出身地でもあるので東海大学熊本後援会に行けば少しは援助していただけるのではないかと考え、米沢先輩と帰郷して後援会長(酒蔵会社の社長)のところへお願いにいきました。金銭的な援助は難しいと言われ、(今から思えば当たり前?)今度は大学庶務課に何とか良い方法はないかと相談したところ、東海大学熊本事務所長の森さんに相談したらどうかということになり、再び帰郷して相談しました。資金面での援助は難しいが安くしかも合宿の効果を上げる方法として熊本商科大学と合同合宿をやったらどうかということになり話がまとまりました。宿舎と体育館は熊本商大の施設を利用させていただくことになり、経費の面でも助かりました。森さんには大変お世話になりました。

昭和38年3月 熊本商大との合同合宿
この時の東海大卓球部の参加者は初心者も含めて総勢28名、熊本商大は精鋭15名くらいだったと思います。この時の熊本商大の実力は九州で1〜2位を争うチームで当時の感じとしてはものすごく強いチームでした。(関東リーグで言えば2部の上位といったところだったでしょうか)
初心者まで合同合宿させていただいて大変迷惑をおかけ致しました。卓球の強さも度肝を抜かれましたが打上げの時の酒の飲みっぷりとデスカッションの激しさはそれ以上でした。素手で壁を突き破りくやしさを表現する人もいました。枕を並べて寝ている東海大生のところへやってきて話をしていましたが皆んなふとんかぶってブルブル震えていました。しかしこの人は翌朝のランニングでは手に大きな包帯を巻いて何事もなかったように走っていました。この姿を見て何とすごい人達だろうと度肝を抜かれました。私も同じ熊本育ちで少しはなれていましたが、ビックリでした。忘れられない合宿となりました。

昭和38年3月 熊本商大との対抗試合 選手は米森先輩

昭和38年3月 熊本商大との対抗試合で応援する東海大のメンバー

昭和38年3月 熊本商大との合宿を終了して別れの交換をしているところ
合宿の思い出としてもう一つ、お話します。リーグ戦前になると短期合宿を三鷹にあった国際卓球会館で行っていました。現在の荻村杯の荻村さんの卓球場でした。コーチは直接していただけませんでしたが世界チャンピオンと接する機会があったことを報告しておきます。現在のFM東京の前進であるFM東海(代々木校舎の屋上から発信していた)の話をしておられました写真も残っています。

昭和36年 荻村さん(中央白いシャツ)とともに 右端が米森先輩(東京三鷹 国際卓球会館にて)
松前重義総長との思い出は少しお話しましたがもう少し思いつくままに書いてみたいと思います。私は卒業して37年経過しようとしていますが年数を重ねる毎にその先見性という面で偉大さを再認識しています。当時、校舎もままならぬ中で一流の大学にすると言っておられましたが規模においては目的は達せられていると思います。二つ目は当時(昭和37年頃)は米国とソ連の冷戦時代に必ず世界は一つになるから全方位外交をしなければいけないという考えでした。また中国も必ず門戸を解放して貿易が盛んになると言っておられました.
まさに今その時期が着ています。もう一つは現代文明論を全学生の必修科目として自ら講義を担当しておられました。昨年の同時多発テロから現在、現代文明が問われていますがまさにこのようなことを考えられていたのではないかとその先見性に驚かされています。
現役の皆さんに期待することを申し上げたいと思います。40年の長い歴史の中では強い時は男女とも2部もありました。今は4部に低迷していて、部員確保も難しいと聞いています。大事なことは学生スポーツをその時置かれた環境で弱くても精一杯努力することだと思います。そして部を続けることです。そして卒業して立派なOB
OGになって下さい。いつの日か現役卓球部が1部で活躍することを夢見て先輩達もOB会を中心に応援していきたいと思います。過去にメンバー不足による不祥事がありましたが2度とこのようなことがないように正々堂々と戦ってほしいものです。 |