第4回 「私と卓球」(後編)  2期生 那須 出

  大学時代の卓球
一浪で入学したが浪人中の1年間は、母校に足を運びあるいは卓球場に通い練習を続けていた。大学に入学して退屈なので卓球同好会に入ることにする。練習場はなく会員の1〜2名を除いてすべて素人(失礼)であった。当時の主将(名前忘れる)が頼りなく退部を考えたが一期生は手を引くので私の好きなようにしろと言われ、一年生の2学期から主将として部を任された。練習場を持たない、戦える選手のいない卓球部の活動は練習場を借りながら来年入部するであろう優秀な後輩を期待する日々であった。
 体育会からの援助は一切なく、ひたすらピンポンをしていたが満たされるものはなかった。翌年後輩が入部してきた、が練習場もない卓球同好会であった。まず同好会を脱皮して、準公認部に認められ、年間50,000円の予算を獲得、練習をしていく中で"試合が出来るかも"と思うようになってきた。試合をするためには関東学生卓球連盟に加盟しなくてはならず、どうすれば加盟できるか卓球連盟に相談に行ったところ、主将会議(?)で活動状況を報告し賛成多数で認められるとのことだった。そのために部活動を対校試合を目標に進めた、当時6部の最下位の大学に挑戦、初勝利を飾り順次6部1位の大学まで試合を申し込み、結果は全勝であった。この結果をもって卓球連盟主将会議で認められ、「誓約書」を提出し加盟することとなる。当時の選手は、米沢(二期生)、米森、河合、谷、鹿討(三期生)と私の6名と記憶している。


 1・2・3期生(新宿卓球練習場)
前列左から
滝尾、竹田、那須、安武、藤原

中列左から
河村、渋田、久保下、河井、
鹿討、米森、松川、谷

後列左から
津山 

 二年生の秋季リーグ戦から参戦し6部で全勝優勝、5部に昇格、翌年の春季リーグに備え今度は5部の大学を選んで対抗試合を事前に行った。その時の勝敗は詳しく覚えていないが、ほとんどの対戦で勝利を収めた、全勝ではなかった。三年生になり部も公認部に昇格した。春季リーグ戦前に四期生が入部してきた。そのなかから神谷、佐藤両君をレギラーにして春季リーグを戦うこととなる。持ち駒の少ないチームのため組み合わせの読みを間違えれば、即勝敗に影響するため、練習試合に負けても対戦相手のオーダを予測し、リーグ戦ではオーダミスがないよう最新の注意を払った。結果は的中することが多かった。そんなことで、5部優勝、4部昇格となった。
 秋季リーグ戦前も同じような考えで備え臨んだが結果は、2位くらいだったと記憶する。通常の練習は狭いスペースで練習しているため体育館のような広いスペースでやると、若干違和感があるので慣れるためにリーグ戦前にレギラー合宿を計画、実行した。三年生の秋季リーグを終えた時点で主将を米森君にバトンタッチし、その後は選手として後輩を見守ることとなる。
 四年生の春季リーグで4部全勝優勝、3部昇格。秋季リーグでは3部5位という成績に終わった。関東大学卓球連盟に加入後2年半で3部の仲間入りができ満足であった。ただ勝利だけを目標に活動を継続したことにより、レギラー以外の部員に対しては十分な配慮が欠けていたことをお許し願いたい。
 スポーツをやる以上常に目標を「優勝」という二文字に絞り一生懸命練習を積み戦う、結果が出なくても、その過程において得られる事柄が最も貴重である。得られる事柄は本人の打ち込む姿勢によって左右されるように思う。大学生活の大部分卓球に明け暮れていたので学業の方は言わずもがな、出席60%を確保するため出席記録を付け代返も含め全科目クリアーできた。感謝
 
                    4部優勝

 社会人での卓球
社会人となり富山(黒部市)、秋田(秋田市)、福井(敦賀市)、北海道(苫小牧市)等で勤務しながら25年間(通算37年)卓球を楽しんだ。卓球の他には軟式テニス、硬式テニス、バトミントン等を行った。これらの競技は色んな面で卓球に共通する部分が多いため、卓球の経験である程度のレベルで楽しむことが出来た。これらのスポーツをする機会はなくなったが 19歳の時コースデビューしていらい今日まで42年間ゴルフを楽しんでいる。これからも卓球を通して得られた、技術的、精神的な面を生かしながら、体力、いや金の続く限りプレーを継続したいと願っている。


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