| 第8回 3期生 鹿討 直彦 | |
| 私はOB 3期生(土木)の鹿討です。先日米森会長から手紙をもらい、OB随想録を書くようにとの事でした。私はOB会にも殆ど参加しておらず何を書いたら良いのかと、初めて皆さんのネット随想録を拝見した次第です。
皆さん昔の事を本当に良く覚えていますね、面白く読ませていただきました。私は何を書いて良いかも分かりませんので、とりあえず卓球との出会いから書いて見ます。私が初めて卓球と出会ったのは実は、はっきりしません。私の実家(目黒)は祖母がピアノ教室を開いていて、近所の子供さんが通って来ていました。そのため庭に卓球台が置いてあり、私は物心付いた頃には皆さんとピンポンをしていました。熱心に卓球を始めたのは小学校高学年から中学時代で、町の卓球場へ通いました。何せお金がかかりますので、なかなか行かれなかったのを覚えています。 その後高校(都立桜町高校)へ行って、卓球部へ入部しました。ところがこの卓球部は男子部員が15名程度、女子部員が100名ぐらいで、毎日の部活動は殆どの時間が女子部員の指導でした。それで部活動が終わった夜7時頃から、卓球部のコーチ(30代の本郷さんと言う元全日本級の人で、学校の女子事務員さん)と、マンツウウーマンで夜の10時、11時まで練習をしました。この頃は実に卓球が楽しかったし、又真面目に卓球に取り組みました。帰りの終バスでは疲れて寝込んでしまいますが、下車駅に着くとバスの車掌さん(当時の東急バスは運転手さんと、若い女性の車掌さんの二人勤務でした)が起こしに来てくれました。実に古き良き時代でしたね! その後東海大学へ入り卓球部へ入部しました。先輩たちが実に良く頑張っていましたが、高校時代とあまりにも違う環境なので、愕然としたのを覚えています。大学時代の部活動は、那須さん米森さんの随想録に譲りますが、特に記憶に残っているのは熊本の合宿と榛名湖の合宿です。松川君が熊本の合宿を詳しく書いていますので私は書きませんが、一つだけ熊本の女性の名誉のために書きますと、確かに合宿の時は熊本の女性は皆酒豪かと私も思いました。その後私は昭和57年に仕事で九州へ転勤しました。当時九州はどこへ行ってもお酒と言えば、日本酒でなく焼酎でしたね。今でこそ全国どこへ行っても焼酎が盛んですが、その当時は東京ではもっぱら日本酒でしたね。それで九州へ行って、私もいも焼酎に出会い今でも焼酎を楽しんでいます。しかし九州の女性、特に熊本の女性が特別酒豪なのではなく、全国どこでも酒豪の女性はたくさんいらっしゃると言う事がその後分かりました。 榛名湖合宿は佐藤君が詳しく書いているので譲りますが、この合宿が終わり松川君と二人で二日程スケートをするために残りました。そこのスケート場へ京都から来ていた三人組の女性の一人が、今の私の家内です。 大学を卒業して社会人になってからは、仕事の関係で転勤族になりました。社会人になるまでこんなに転勤が多いとは夢にも思っていませんでしたが、退職するまでそれこそ九州から北海道まで20回近くも引越しをしました。転勤を言い訳にするつもりはありませんが、大学を卒業してからは卓球とはまったく縁がなくなりました。この40年の間に卓球をしたのは、社内旅行の旅館でのピンポンだけです。私の子供3人も中学で卓球部に入りましたが、全員卓球は続きませんでした。 卒業してからはOBの皆さんとは接点がありませんでしたが、静岡の三島にいる時に、松川君が奥さんと旅行の途中に寄ってくれました。後は千葉にいる時に米森君の茨城の会社へ一度お邪魔したのを覚えています。 皆さんの随想録にあるように、我々の年代は二度のバブルを皆経験しています。おかげで皆さんゴルフが趣味として今でも盛んのようですね。私も今年の6月末で会社を退職して、これからは趣味のゴルフ、バイク、将棋、碁、音楽等を特技と言えるように少し上達を目指して、楽しみたいと思っています。 最後になりましたが、これから社会人になる現役の皆さんも、若い社会人の皆さんも厳しい世の中を大変だと思いますが頑張って下さい。社会人になると必ずと言ってよいほど、諸先輩から昔は良かった、昔はこうだった、今の若者はだらしないなど、いろいろアドバイスがあると思います。諸先輩の言葉は確かに大切ですが、今の世の中大変なスピードで変化しています。まもなくユビキタスの時代になります。ユビキタスなんて少し前までは、夢にも考えてない事でしたね。皆さん自分を信じて、しっかりと地に足付けて、先を見誤らないように頑張って下さい。皆さんのご健康とご健闘をお祈りして、雑文を終わります。失礼しました。 |